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リグレット(、1912年 - 1934年4月11日)は、アメリカ合衆国のサラブレッドの競走馬、および繁殖牝馬。牝馬として初めてケンタッキーダービーに優勝した。1957年にアメリカ競馬殿堂入りした。 == 経歴 == ハリー・ペイン・ホイットニーがニュージャージー州に所有していた、ブルックデールファームで生まれた牝馬である。 1914年にジェームズ・ロウ厩舎にてデビューし、2歳時にサラトガ競馬場の主要な2歳戦3競走(サラトガスペシャルステークス、サンフォードステークス、ホープフルステークス)のすべてで優勝した。 翌年、その年の初戦に出走した競走がケンタッキーダービーであった。リグレットはこの競走において、2着ペブルスに2馬身の差を付けて優勝、ケンタッキーダービーの歴史上初めての牝馬の優勝馬となった。同年はこのほかにサラナクハンデキャップに勝って2戦2勝の戦績を残し、この年デイリーレーシングフォームによって年度代表馬として選出された。 このあとリグレットは5歳まで走り、計6戦して4勝を挙げた。5歳のときに出走したブルックリンハンデキャップでは、リグレットのほかにもオールドローズバドとウマルハイヤームのケンタッキーダービー馬2頭が出走し、さらに前年・前々年の最優秀古牝馬ローマーも出る豪華な顔触れとなったが、この競走でリグレットをハナ差制して優勝したのは、リグレットと同厩舎の軽ハンデ馬ボローであった。なお、生涯の競走成績において2回の敗戦があるが、牝馬を相手に負けたことは一度もなかった。 1917年に引退し、ホイットニーファームで繁殖牝馬となった。生涯で11頭の競走馬を産んだが、これといった目立った産駒は出ず、唯一のステークス競走勝ち馬に1920年生のリベンジがいるのみであった。しかし繁殖入りした牝馬の産駒からはファーストフィドル(ステークス競走11勝)やステークス競走勝ち馬も出ており、牝系としては成果を残していた。1934年に急激な失血がもとで死亡、22歳であった。その遺骸はホイットニーファーム(現在のゲインズウェイファーム)に葬られた。 1957年、アメリカ競馬名誉の殿堂博物館は殿堂入りの選考を行い、リグレットの競走成績を称えて同馬を殿堂馬として選定した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「リグレット (競走馬)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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